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鹿子木孟郎の足跡をたどる旅~4.パリ、パンテオン (Pantheon) 

遠くから見たパンテオン
オテル・スフローのあるRue Touillet 通りから出るとすぐに、丘の上に堂々とそびえるパンテオンの姿を見ることができる。当時パリに滞在していた日本人留学生は、結成した日本人会の名前を「パンテオン会」と名づけたそうである。当時の日本人の行動範囲の一番近くにあるということで、パンテオンは特別な存在だったのだろう。

パンテオン
パンテオンは18世紀後半に聖ジュヌヴィエーヴ教会として建設され、その後フランスの偉人を祭る霊廟となった。

聖ジュヌヴィエーヴ壁画
内部に、ジャン・ポール・ローランスの壁画「聖ジュヌヴィエーヴの生涯」がある。孟郎はこの作品を見てローランスに師事することを決心したと回顧録に記している。

パンテオン地下
地下はフランスの偉人を祭る墓地になっており、薄暗い廊下のそこここに墓が配置されている。ちょっと神秘的な空間だ。

パンテオン(パリ) - Wikipedia
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[ 2008/02/12 02:58 ] 鹿子木孟郎 | TB(0) | CM(0)

鹿子木孟郎の足跡をたどる旅~3.パリ、オテル・スフロー (Hotel Soufflot) 

オテルスフロー

(写真左側奥から2軒目、白い壁の建物がオテル・スフロー)

9 Rue Toullier, Paris

パリ5区、高台にそびえるパンテオンのすぐ近くにオテル・スフローという宿があった。
1900年前後にパリに滞在した日本人の常宿であり、1901年5月16日に初めてパリに到着した孟郎も、まずはここに滞在した。

パリ万博に沸くフランスに大勢の若い日本人が向かい、絵画に限らず法学、建築、文学などあらゆる学問分野を吸収していた時代である。2~3ヶ月の船旅を経てたどり着いたパリで、それぞれの志を持って学問に励んだ日本人たちにとって、故郷を思い出す貴重なリラックスの場だったのだろう。

現在はもうホテルは閉鎖されている。

パリ1900年・日本人留学生の交遊(『パンテオン会雑誌』資料と研究)
[ 2008/02/11 06:36 ] 鹿子木孟郎 | TB(0) | CM(0)

鹿子木孟郎の足跡をたどる旅~2.グレ・シュル・ロワン (Grez-sur-Loing) 

グレ・シュル・ロワン(Grez-sur-Loing)はパリ郊外、フォンテーヌブローの森の南のはずれに位置する小さな村。19世紀後半から芸術家村として多くの画家がここに滞在し、日本の画家も数多く滞在した。グレに長く滞在した日本の画家は黒田清輝と浅井忠。黒田清輝は1890年6月から2年半、浅井忠は1901年10月から半年間ここに滞在し制作している。

鹿子木孟郎は第一次渡仏期の1901年11月1日に浅井忠に誘われてグレを訪れている。2日ほど滞在して制作し、パリへ帰ったようである。

グレは現在私の住んでいるモンティニー・シュル・ロワン(Montigny-sur-Loing)の隣村であり、距離にして6kmほど、車で10分強の距離にある。フランス語でsur Loingとは「ロワン側の上」という意味であり、どちらの村もセーヌ川の支流ロワン側に沿って位置している。
早速訪れてみた。

ガンヌの塔
街の中心にはロワン川にかかる古い石橋があり、その側にあるのがガンヌの塔(Tour de Ganne)。現在は廃墟になっているが、12世紀にルイ6世によって建立された城館の跡であり、この村の歴史を感じさせる。

橋から見たガンヌの塔
ロワン川は本当にゆったりと流れており、芸術家にとっては時間を忘れて制作に没頭できる場所であったに違いない。孟郎もこの川のたもとで水彩の制作をしたそうである。

黒田清輝通り
黒田清輝の住んだとされる場所が今は黒田清輝通り(Rue de Kuroda Seiki)と名づけられている。

他にもフォンテーヌブローの森周辺には、バルビゾン(Barbizon)、モレ・シュル・ロワン(Morez-sur-Loing)などの芸術家村が点在している。順次訪れていくつもりである。

グレー=シュル=ロワンに架かる橋―黒田清輝・浅井忠とフランス芸術家村
[ 2008/01/20 01:13 ] 鹿子木孟郎 | TB(0) | CM(0)

鹿子木孟郎の足跡をたどる旅~1.イポールの浜 (Y'port) 

『ノルマンディーの浜』
1908年のフランス芸術家協会サロン入選作
仏題はLa plage d'Yport(イポールの浜)

この鹿子木孟郎の代表作の舞台はフランス北部ノルマンディー地方、大西洋に面したイポール(Y'port)という小さな港町。穴の開いた断崖の奇勝で有名なエトルタ(Etretat)の隣町である。
ここには孟郎のパリでの師であったジャン・ポール・ローランスの別荘があり、孟郎は第2次渡欧期間中、1907年の夏の3ヶ月間ここに滞在しこの大作を完成させている。

イポールの浜
作品の舞台になった浜辺と断崖は、100年前そのままの姿を残している。現在は漁業はやっていないようで漁師の姿も漁船も見ることはできず、海岸にはバカンス用の船・シャワー室などが並ぶリゾート町となっている。

イポールカジノ
海岸沿いにはカジノの建物が(写真左側)。同じ場所かどうかは分からないが100年前にもカジノはあり孟郎も遊んだそうだ。朝8時から12時まで、昼食をはさんで午後4時まで規則正しく制作に励み、夜はビリヤードやカジノでリラックスしてフランスの夏を過ごしていた様子が記録に残っている。

JPL広場
イポールの町の中心の広場はジャン・ポール・ローランス広場と名づけられており、フランスアカデミズム絵画の巨匠であったローランスがこの小さな漁村にとって大きな存在だったことが伺える。

JPL別荘
浜から5分ほど歩いた場所に、ローランスの別荘も見つけることができた。塀の外から見ることができたが、100年前の写真と何一つ変わらない姿を見ることができた。

イポール教会
このほかにもイポールの町は趣のある教会もあり、魅力的な小さな町であった。

より詳しくは、ポーラ美術館学芸部長 荒屋敷透先生の論述:
イポールの鹿子木孟郎──作品《ノルマンディーの浜》を巡って を。
[ 2008/01/05 07:20 ] 鹿子木孟郎 | TB(0) | CM(0)



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